打瀬舟について

記事番号: 1-257

公開日 2014年08月26日

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打瀬船

 

 100余年もの昔、アメリカ大陸に夢を馳せ、打瀬舟と呼ばれる小さな帆船で太平洋を渡った先人たちの雄飛不屈の行動、精神を讃える。
 記念碑が平成8年6月30日、漂着地のアメリカ合衆国・ポイントアレナ市に建立され、八幡浜、ポイントアレナ両市長、北針会員をはじめ大勢の人たちが完成を祝いました。


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仮装行列に繰り出した打瀬船

“北針の物語”苦難を乗り越え、大海の彼方へ

 幾億もの光の粒をたたえるさざ波が静かに揺らめく小さな入り江、真網代源蔵前。
 そののどかな風景からはとても想像など及びませんが、ここはかつて、壮絶な航海の起点となった所です。  時は大正2年、今から80年以上も前のこと。アメリカに夢を馳せた真穴、そして川上の浦人15名が、太平洋横断を期し、わずか15メートルほどの打瀬船と呼ばれる帆船でこの地を出航したのです。
 距離にして1万1000キロメートル。それは死と背中合わせの危険をはらんだ無謀ともいえる旅でした。途中何度も暴風雨に遭うなど、沈没の危機にもさらされたといいます。  しかし、苦難を乗り越えた船は日本を発ってから58日目、ついに憧れの地アメリカに到着したのです。
 残念ながら、乗組員たちは密航者として日本へ強制送還される結果となりましたが、翌年もまたその翌年も後に続く者は絶えず、現実にアメリカで一旗上げる者もかなりの数に上ったようです。
……以上、広報(平成7年8月号)から抜粋

※北針とは磁石のことで、この航海の進路を決める唯一の頼り、いわば命綱のようなものでした。

 

 

初の太平洋帆走横断

 1912(明治45)年7月19日の午後。米国サンディエゴ市北郊のフラットロック海岸に、保内町川之石出身のリーダーで船長の吉田亀三郎を始めとする5人(魚崎亀吉・清水金次郎・河野鹿之助・河野楽末)の姿がありました。
 彼らは、同年5月5日に住吉丸という「打瀬船(底引き網で漁をする帆船で、船体は伝統的な和船構造で、3本の帆柱に中国式の帆を用いたもの)」で川之石港を出発、一路ワシントン州シアトル市を目指しましたが、76日後のこの日、着いたところは目的地より南へ2千キロ離れたこの地に着いてしまいました。
 しかし、この住吉丸の航海は、今知られている限り、日本人が個人の船で自主的に成し遂げた最初の太平洋帆走横断です。

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