記事番号: 1-1114
公開日 2014年09月12日
保内の歴史は産業の歴史でもあります。町並みを歩いていると、どこか懐かしい風景に出会います。アンティークな香り漂う擬洋風建築、赤レンガ塀・・・。
そうしたひとつひとつの風景が、歩んできた歴史を物語っています。
からみレンガ
からみレンガは、銅鉱石を精錬する過程で銅分を取り除いた後の鉱滓からできています。
当市では、「佐島レンガ」とも呼んでいます。1893(明治26)年川之石沖合の佐島に精錬所ができ、そこで作られていたことから由来しています。
当時は、建築材料として使われていました。重さは5kgと41kgのものがあります。レンガの表面には緑青が噴いており、当時の粗雑な精錬技術がうかがえます。近年、からみレンガを使ったモニュメントなどに使用されています。
※「からみレンガ」は、文化会館でも使われています。
慈眼庵青石の石垣(じげんあんあおいしのいしがき)
雨井地区は、1830年(天保年間)から海運業で栄えた港町です。
それを象徴するのが、石垣に組み込まれた灯明台です。
帆船で、地元特産物(ハゼ・ろう・干鰯等)などを阪神方面に運んでいました。
菊池庸夫邸(西のおやけ)(きくちつねおてい)
屋号を「西のおやけ」といい、海運業を営んでいた家です。礎石には花崗岩のほか「伊予の青石」が多く使われています。
正面2階部分は、オーダー(柱飾)が使われています。
「鏝絵」、「曲水の透かし彫り」、明治時代の避雷針アースなどが施されています。
「西のおやけ」の周辺
龍潭寺(りょうたんじ)
庫裡(住職の居室)は、明治初頃の創建で、寺格にふさわしい精巧な造りとなっています。
2階正面には、月見楼があり縁から匂欄(手摺)をめぐらせています。
天井一面には、妙心寺法堂天井に倣って天空をかける雲龍図が墨痕鮮やかに描かれています。
窓飾・廊橋にも特徴があり1745(延享2)年に建てられた山門とよく調和し、古刹の重厚な雰囲気を漂わせています。
一風変わった窓枠 雲龍図
内之浦公会堂(うちのうらこうかいどう)
1937(昭和12)年に建設された建物です。外観は洗い出し技法が用いられ、軒下と上下スライド窓の上部には飾細工が施されています。
公会堂の文字の下には、アカンサスの葉がデザインされており、西洋建築を意識した造りになっています。
基礎・台座には花崗岩が敷き詰められており、正面玄関上にはバルコニーもあります。内部の天井・柱には太平洋戦争中のグラマン機による銃撃の跡が残り、薬莢玉も保存されています。
国の有形文化財に登録されています。
愛媛蚕種(旧日進館)(えひめさんしゅ(きゅうにっしんかん))
1884(明治17)年に創業され、今では県内で唯一残っている蚕種製造会社です。
1999(平成11)年に国の有形文化財に登録されました。
1919(大正8)年に建てられた木造3階建物は、玄関と窓にペディメント(二等辺三角形の飾り)、羽目板張(板を縦に張ったもの)を使った美しい外観となっています。また、蚕室のため赤レンガの防火壁が施されています。
旧川之石庄屋跡(きゅうかわのいししょうやあと)
土蔵は1862(文久2)年に建築されました。3mを超える青石の灯籠と井戸が残っています。
駐車場の石垣は、防火用に設置されたもので、青石の自然石を鋭角に積み今では見ることが少なくなった貴重なものです。
また、この場所は、1887(明治20)年、宇和紡績創立事務所が置かれていました。
美名瀬橋(みなせばし)
1933(昭和8)年に作られた当初、親柱は灯籠の役目を果たしていました。
欄干は鉄柵がありましたが戦争のため供出し、現在はコンクリートになっています。
老朽化にともない1998(平成10)年に原形を生かした改修工事が行われました。また、宮内川の護岸は、矢羽根積の青石で造られています。
美名瀬橋周辺に咲き乱れる水仙
東洋紡績赤レンガ倉庫跡(八興産業)
(とうようぼうせきあかれんがそうこあと(はっこうさんぎょう)
宇和紡績(のち東洋紡績)は、1887(明治20)年愛媛県で最初に設立された紡績会社で、四国で初めて電灯が灯ったことでも知られています。
1960(昭和35)年に閉鎖し、現在は赤レンガ倉庫だけが残り川之石地区の黄金時代を象徴する貴重な建物です。
東洋紡績の広大な敷地跡は、現在、保内中学校、中予電気、八興産業などになっています。
旧白石和太郎洋館
19世紀(明治時代)に建てられた左右対称の擬洋風建築です。
内部に入ると、玄関の天井飾りには世界地図・2階の天井飾りには果物カゴの形が施されています。
ガラスは建築当時の物で、よく見るとヒズミがわかります。緑色の塗りも当時のままで、ペチカや柱頭飾りなど、建物全体に美事な左官・大工技術を見ることがでます。 1993(平成6)年、当時の保内町が買収しました。
二宮孝順邸(旧宇都宮壮十郎邸)(にのみやよしのぶてい)
屋根は曲線を描き、棟瓦には分銅マーク。
また、玄関入口にある持送り(庇や出格子窓などを支える部分)などに細工を凝らした和洋折衷の建物です。
建築には3年を要し、1901(明治34)年に完成したと伝えられています。
赤レンガ通り
赤レンガは、西洋文化の代表的な建築物の一部として明治・大正時代(関東大震災まで)に全国的に取り入れられました。
レンガは、焼き方によって色や強度が違ったり、つみ方にも違いがあります。
稲見米殻店
1869(明治2)年に上棟された建物です。亀をあしらった持ち送り、千本格子戸が特徴です。