一般質問(一問一答方式) H29.6 河野裕保 議員

公開日 2022年01月12日

〔河野裕保君登壇〕

 

○河野裕保君  質問の機会を与えていただきまして、感謝を申し上げる次第であります。
 私は、質問通告書に従いまして、大綱1点、市長並びに関係理事者にお尋ねをするわけであります。
 中心市街地の活性化策、古くて新しい議題を質問するわけでございまして、幾つかさせていただきますが、その前にイントロの時間を若干いただきたいと思うわけであります。
 これは私的なことでありますが、しかし最初に持ってくるお話というのは、船場の商売人の話でありますし、また商売人、商いといいますと、繁栄があり、没落があり、再生という道をたどるわけでございますので、ある程度私的な話とはいえ、普遍性を持っておりますから、お許しをいただきたいと思うわけであります。
 私の遠い遠い親戚関係に当たります小野源造商店というのが、明治、ですから伊予の大阪と言われた時代の前のあたりから始めておりますが、その者が歌舞伎、それと雨戸とかという私昭和二十五、六年の記憶がつい最近よみがえりまして、今回この質問をするに当たりまして、遠い遠い記憶、これを現実かまたは真実かどうかを確かめるために、歌舞伎というのは穴井歌舞伎に、この小野源造商店が幕を寄附したという記憶がよみがえってまいりました。
 それで、つい先般でございますが、土曜日でございましたが、穴井へ赴きました。昼下がりでありまして、ちょうど町外れに女性2人の方がいらっしゃいまして、お話をしておりました。わけを話しますと、その方がスマホで公民館主事さんを呼んでいただきまして、公民館主事さんが、私が実はこういうことですが、協力いただけますかと言いますと、はい、その幕とか衣装は虫干ししなければならないし、まだお見せできませんので、それを映した写真集がありますので、それならお見せできますよということでございまして、すぐさま穴井の公民館に行きますと、主事さんと同時にそこへ着きました。主事さんは大変優しい方でして、女性の方でした。こんな分厚いアルバムをお持ちになりまして、さてその小野源造商店が果たしてその幕を寄附したのかどうかということが真実かどうかということを確かめるためにアルバムを一枚二枚めくりますと、何枚目かに出てまいりました。小野源造商店が、見よりましたら明治39年でありました。それで、小野源造商店は油類、肥料、それと雑貨を扱っているというふうにその幕に書いてあったわけであります。つまり1906年でございますから、今から111年前の話ですねと私が主事さんに申しますと、主事さんはにこっと笑っておられましたが、アル・ゴアの不都合な真実はなくて、これが真実であったので、大変私はうれしかったという思い出がありまして、さて本題に入るわけであります。
 最初に、進取の気風は枯渇したのかということであります。
 この地は、昔からすぐれた人材を輩出しておりますから、そういう土壌、進取の気風の土壌があります。数多くの人が出ておりますし、新しいところでは、昭和2年から夫婦が始められた和菓子の製造が、長男の中興の祖と拡大いたしまして、そのお孫さんが事業をやっておられる、無論ファミリーが一緒になって進取の気風を受け継ぎながらやっていらっしゃるわけですが、これがもはや今や西日本随一の菓子メーカーになったということでありまして木綱家3代であります。この人たちは進取の気風に富んでおると。
 昭和32年、8つのくずしが1つになって八水蒲鉾をつくりましたということですが、そのもとになったのが鈴木峯治さんであります。峯治さんはこの地にかまぼこを持ってきた。そして、そのお子さんたち、お孫さんたち、ひ孫さんたち、またグループの皆さん方が進取の気風で現在の八水蒲鉾をつくりましたということですから、先般も鈴木峯治さんのひ孫さんとお話をさせていただきましたが、なかなか立派な方でございます。
 昭和26年といいますと、私たちは子供のときでございましたが、私たちはおどけてアイ・アム・ハングリーと言っておりました。とてもひもじいですよ。そのひもじい中に、魚肉ソーセージを使ってスモークミートをつくった紀伊敏雄さん、そういう形の進取の気風はいまだに息づいてますよということです、青年会議所さんは。オレンジベイフーズをつくりました。1期目の大城市政も相当の努力をされて、今のオレンジベイフーズの立ち上げに協力をされております。そういう方がいっぱいいらっしゃいます。
 そして、皆さん忘れていらっしゃると思いますが、先般、私は副市長のところにはめったに行きませんが、4年の間に2回目でしたが、ほしたらカレンダーといいますか、菊地恭三さんの写真がありました。びっくりしました、あっ、恭三さんですね。その恭三さんというのは、尼崎紡績とか大日本紡績もつくり、最大の東洋紡績をつくったそういう方でございまして、三和銀行を興しました。三和銀行と言えば、八幡浜の高校生は大分お世話になりました、私の友人の弟も三和銀行に行きましたが。その三和銀行は都市銀行でございましたが、東海銀行と一緒になってUFJになり、今は三菱東京UFJの銀行になっておりますが、そういう立派な方もいらっしゃいますし、二宮忠八さんもそうであります。
 そして、その下地というのはいつできたかといいますと、先ほど言いました伊予の大阪です、明治17年、1884年に伊予の大阪でございまして、松山でなくて、この八幡浜の地に今で言う物流、物産が集積して、移入、移出の取扱高が1番でした。綿もあります、呉服もあります、雑貨もあります、綿を使って、篠巻木綿を使って今で言う加工貿易ですよ、そういう産業構造を構築していった。そして、そういたしますと上方から情報が入る、また金が入る、人が来る、地場ができて、金融機関ができ、海運業者ができ、商業ができますよと。手狭ですよということで、かなりもうけた方がいらっしゃいますから、そういう人たちが自己資金で海員ホーム建てる、築港する、内港をつくっていったということですよね。
 そして、その前の50年前にさかのぼります。そしたら、1830年、天保元年、このときに伊予の大阪より前に伊予の雨井と言われました。伊予の雨井というのはどこですかと言うたら、川之石の雨井です。そこには、中国地方、大阪、九州、そこら辺の物資を集めて運んでおりました、一杯船主が往来し、えびすやとかほていやとかという船主がどんどん資金を出して、物産を集めてやっておりました。
 そしてまた一方では、国立二十九銀行をつくった矢野小十郎なんかというのは、藩主の許可を得て長崎貿易をやって巨万の富を得て、国立二十九銀行をつくった。先般、いただきましたむくり屋根の宇都宮壮十郎のお屋敷、先代もそうです、そういう方たちが現在の豫州銀行、伊予合同銀行、そして伊予銀行のもとをつくったのがこの地ですよ。この地の進取の気風に富んだ矢野小十郎たちというのは全部自己資金です、当時は、明治11年、1878年です。高知のほうは、秩禄公債と言いまして、武士が失業いたしました。その公債を原資につくっていったんです、銀行を。ここは純然たる自己資金、商売人の町です、八幡浜は。
 ということで、今八幡浜市を活性化させるか、中心市街地を勢いよく昔のようになっていくためにはそういう人材が必要ではないかと思いますが、そのあたりぜひともお聞かせを願いたいと思うわけであります。
○議長(上田浩志君)  市長。
○市長(大城一郎君)  河野議員おっしゃるとおりだと思っております。明治初期から大正期にかけまして、瀬戸内海、宇和海を縦横に結ぶ地理的特性を生かした海運交易の中継拠点として伊予の大阪とうたわれるほど繁栄した背景に、進取の気風に富んだ偉大な先人たちの多大な功績があったと思っております。そして、今の時代におきましても、地域の発展のためには、進取の気風に富んだ人材が必要であることは議員御指摘のとおりでございます。
 進取の気風は、今を生きる市民の心根にも連綿と受け継がれており、全国でも先進的な取り組みであるみかんアルバイター事業などはその一例であると思います。海外販路の開拓に乗り出す事業者や、行政に頼らず、みずから進んでまちおこし活動に取り組む市民グループが増加していることからもかいま見ることができます。
 市といたしましても、新たな事業やまちづくりにチャレンジする市民や事業者を応援するために、八幡浜市民提案型補助制度を平成24年度から実施しております。今後もこうした支援、そして人材の掘り起こしにより一層努めていきたいと思います。
 なお、昨年度に市民ミュージカル「二宮忠八物語~世界に誇る愛媛の偉人~」を開催し、好評を博したところであります。第二弾として、アメリカ大陸に新天地を求め、小さな帆船で太平洋を渡った「北針」のミュージカル、あるいは第三弾として川之石の鉱山から貿易に至る町の繁栄等々を企画してみたいなとも考えております。このようなふるさとの未来を切り開く子供たちへ進取の気風を伝え、育む取り組みにも力を入れていきたいと考えております。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  ありがとうございます。
 進取の気風に富んだ市民の皆さん方がよくいらっしゃる、大変心強い。一番私が思うのは、この八幡浜の職員の皆さん方が進取の気風に富んでほしい、恐らく富んでいらっしゃると思いますが、ぜひとも先進性を持った、そういう職員をどんどんどんどん引き上げていって、町の活性化のために尽くしていただくようにお願いをしたいと思いますが、その点ひとつよろしくお願いします。
○議長(上田浩志君)  市長。
○市長(大城一郎君)  私も市長になって、いろいろ職員を見ております。私になってから、商工観光課とか農林水産のほうでも各都市に行って販売をしたり、商品を売ったり、いろいろなところでよその地区のいいところを見て帰ってくる、そういったことも十分職員の資質を上げる点ではいいことだと思っておりますし、その地に赴いた職員の話を聞いておりますと、自分の物産品、特産品を売るだけでとどまらず、やはりその土地土地のいいところをしっかりと学んで帰ってくる、そういったこともやっているなというふうに思っておりますので、そういった点でも進取の気性を十分に発揮してくれているのかなというふうに考えております。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  御期待申し上げておきます。
 次に行きます。
 2つ目、魅力あるまちづくりについてであります。
 中心市街地のイメージと申しますと、整然と区画されて、商業区があります、住居区があります、業務区がありますよということですよね。そして、商店街があって、利便性、快適性、秩序があり、安全が確保され、その上に受益者の皆さん方に対してのモビリティーがしっかりと行き届いておる町で、市民の皆さん方が快適な買い物、ショッピングしますよ、合間にオープンカフェできゅっと一杯、ジュースをやりながらお話をするとか、文化の薫りがしますよ、これが理想的な商店街だろうと思います。
 ただし、その整然とした町にプラス、あるいは違う非日常の顔も私は絶対必要だと思います。サラリーマンの生き抜くとこも必要ですし、お百姓さんもそうです。ですから、その町には、あるいはある程度の混沌、カオスがあったり、デンジャラスの危険があったり、迷宮のラビリンスがあったり、デカダンスがあったりの退廃があったり、ずうっと霧のように舞ってるようなところが必要だろうと、このように思うわけであります。
 これは比較になりません。新宿を思い出してください。新宿は都庁もありますよと、淀橋浄水場、昔はキツネが出ておりましたが、今は新宿副都心のオフィス街です。そして、国電の横には、私の大好きな思い出横丁があって、びっくり大ガードを越えたら最もデンジャラスな大歓楽街の歌舞伎町に行きます。その真ん中には区役所があって、ねきのほうにはゴールデン街があり、花園神社があり、また2丁目というふうなところもあります。そういう多様な顔が魅力ある、人が集まるということであります。
 かつての八幡浜市もそれに近いところがありました。私は黄金の1950年代と言うておるんです。昭和25年から30年代の中ごろにかけてはありました、八幡浜市も。新町の商店街からちょっと脇へ入りますと、それはそれは光り輝く、そういう世界がありましたし、今の皆さん方は知りませんが、三業地といいまして、芸者さんがおったり、置屋さんがあったり、そして法律に許された範囲の後ろめたい中にもちょっとそこへ行くようなところがありました。こういう魅力があった町ですよ、八幡浜市は。
 そして、何よりも人が多かった。一番はそこなんです。人いきれがある、田舎、半島からぽんぽん船の焼玉エンジンに乗ってくる、三つ四つの峠を越えてここへどんと来ますから、金は何ぼでもここに落ちよりましたよ。そして、最高の娯楽の映画を見ながら、余韻に浸りながら、最高のちゃんぽんを食うて、百姓にはなかなか敷居が高かったキリンへ行ってお茶をするのが最高、至福のときでしたから、そういう時代でした、それを再びというわけにはいきませんが。八幡浜には独特のにおいがありました、くずし屋のにおい、浜のにおい、ホータレ干したにおいとか。そして、音もあった。何よりもあらつかましい言葉でした。私ら須川の山の奥から来ましたら、がいなあらつかましい言葉使うので、私も白浜に親戚がありましたから、タケノコ、芋を持ってきよりましたから、そういうとこには言葉の荒いなあ。そりゃそうですよ。そこいけんがななんか言よりましても、板子一枚底は地獄ですから、そういう荒い言葉になっていくんでしょうね、そういう魅力がありました。ちょうどここの港の横には白浜造船がありました。その横には愛国鉄工の音がする。音もありましたし、声もあった。
 やがてはその音もにおいも消えて、人も散り散りになる。やがて現在のような町になったということですから、夢よ再び1950年代ということはいけませんけども、それに近い町、魅力ある町をぜひともつくっていただきたいと思うんです。一番は人口、仕事、そういうことだろうと思いますが、そこら辺を期待しておるんですが、ひとつよろしく御回答のほどお願いをいたしたいと思います。
○議長(上田浩志君)  総務企画部長。
○総務企画部長(新田幸一君)  お答えいたします。
 八幡浜市が魅力あるまちづくりをどうするかというようなことだろうと思います。議員のおっしゃる時代背景は、昭和30年ごろからの高度経済成長真っただ中の時代で、国民みんなが経済成長の恩恵を受け、町全体が活気あふれた時代を思い起こさせます。現在は時代背景も異なり、いまだかつて経験したことのない少子・高齢化が進展する中で、いかに持続可能な社会を築いていくかが課題となっております。
 このような中、議員御質問の人々を引きつける魅力ある町とは、道路、港湾、上下水道など市民の生活を支える公共インフラが整備され、安全・安心に暮らせる町、医療・福祉、教育施設や人が集える交流拠点施設が整備され、子供から高齢者まで市民みんなが暮らしやすく、にぎわいと笑顔あふれる町、ミカンや魚を初めとする地域産業の活性化により生涯現役で生きがいを持って働くことのできる町だと考えております。
 以上です。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  優秀なお答えであります。私が言うのは、少し言葉は悪いですが、不良げたということは悪いですが、そういうことは今もうあってはなりませんが、やはりちょっといかがわしいような、そういう雰囲気の町もこれはやっぱり町の中には必要なんですけど、この八幡浜の小さな町にはそれは無理ですね。
 そして、人々を興奮させるような、また興味が湧くような、そういう町が必要なんですね。非日常の飲んだり食うたりするんではなくて、文化の面においてもそうです。先ほど市長が言われましたように、ミュージカル最高ですよ。それで、市民の皆さん方はそういう発表をする場もそうですし、そしてまた新たな地元の食材を使った料理もそうですし、そういうことでみんなが魅力あって、町なかへ寄るような施策をぜひともしていただきたい。
 今言われましたように、都市計画によってきれいな町、整然とした清潔な町、電柱も恐らく埋まるでしょう。そういうきれいな町ではなくて、それも必要ですが、やはり町には、先ほど言いましたように混然一体としたような何かしらそういう魅力ある町、行政がつくるわけにはいきませんが、そういう発想を持った人たちも出てきて、要するにまちづくりは行政も市民も商工会議所もみんなで寄ってまちづくりしましょうよということです。一回やっぱりそういうシンポやないけど、そういうものを開いてやってみたらどうですか、もう一回その辺お願いいたします。
○議長(上田浩志君)  総務企画部長。
○総務企画部長(新田幸一君)  議員のイメージされておられる、それこそ非日常的なというのは、議員おっしゃられたように確かに行政が取り組むということはなかなか難しいことだろうと思います。ですので、そこはやはり民間活力ということにお任せをしたいなと思いますけれども、市民が、あるいは市外の方らが来られてわくわくどきどきするような八幡浜市ということで考えると、やはり八幡浜市特有の文化というようなものをしっかり持っていきながら、そこで市民が文化に触れていきながら、例えば食文化もそうでしょうし、お祭り、イベント等もあるだろうと思います。そういったところをやはりきっちり八幡浜市の特有なものというようなものをしっかり持った上で、それこそ議員おっしゃられたように、商工会議所初めいろいろな団体と意見交換、情報交換をしていきながら、どきどきわくわくするような町にしていければなというふうに考えております。
 以上です。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  一緒になって頑張っていきましょう、魅力ある八幡浜市を、皆さんがここの八幡浜市に来るように頑張りましょう。
 3番目でございますが、本市の経済的衛星都市の復活ということであります。
 経済的復活、衛星都市ということでありますが、私はどうも1950年代ばっかりを言うわけですが、こんまいときの記憶が一番鮮烈に残ってますので、仕方ないところがあるわけでありますが、八幡浜市と西宇和郡、東宇和郡、大洲というのは、経済的、社会的、そして教育的に結ばれておりました。八幡浜が中心で母市ですよ。ということは、1955年、昭和30年の八幡浜市と旧保内町の人口を合わせますと7万1,987人であります。そして、残る保内町をのけた西宇和郡、東宇和郡、大洲の一部を入れますと同じぐらいの人口です。合わせたら14万、15万ぐらいの経済都市が八幡浜にあったんです、昔のことを言うても始まりませんよ。しかし、どおっと先ほど言いましたようにお金が落ちておりました。昔は一方通行でしたが、今は対面通行、行ったり来たりしよります。
 私が心配するのは、八幡浜市の市民の皆さん方が他市へ、他の地域へ行って、耐久消費財、最寄り品を買っていらっしゃるということの額と、それとよそから来て八幡浜市に落とす金と、これをプラ・マイしたら私は出ていくほうが多いんじゃなかろうか、よそで買う人が。ということは、先ほど言いましたように魅力あるこの町をつくったならば、八幡浜に行ったらええですよと。港だけではなかなか、私もこの間いろいろ話を聞きましたが、みなっと、そしてみなっとの中のどーや市場、どーや食堂関連の、そしてアゴラマルシェありますが、言葉悪いですが、総売り上げは、1年間に落ちとるお金ですが、コンビニエンスストアの何軒分かですよ、言うたら。売れるとこのコンビニはすごかったですから、私も商工会におりましたから、言いませんが、一番最初にできたコンビニは表彰してもらいましたから、コンビニの総元締めから、それだけ売れよりましたね、今も売れよるとこ相当あります。ですから、いかにこっちへ金を落とさすかということを考えていただきたい。
 それで、今、恐らく調べていらっしゃるかいらっしゃらないかわかりませんが、八幡浜市の出ていくお金、市民の皆さん方がよそで買うお金とよそから八幡浜市で買っていただくお金、それを調べたことありますかね。そこら辺わかったらお答えをいただきたいと思うわけであります。
○議長(上田浩志君)  商工観光課長。
○商工観光課長(河野久志君)  お答えします。
 本市の消費者が市外で行う消費行動に対する具体的な数字は持ち合わせておりませんが、交通、配送の利便性が向上し、消費者の選択肢がふえたことで、市外の大規模小売店舗やインターネット販売等を利用する市民が確実に増加しているものと思っています。商店街衰退の大きな要因は、議員も御承知のように自動車利用の一般化と、これと歩調を合わせた郊外型の大規模小売店舗の登場です。現在では個別の商店を回ってさまざまな食料品や日用品、医薬品、衣料品を購入することは一般的ではなく、多くの消費者が品ぞろえと価格と利便性にすぐれた大規模小売店舗を利用しているものと思われます。
 以上です。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  それもおっしゃるとおりであります。私が心配するのは、八幡浜は魚のまちです。そして、はっきり言いますが、宇和に行きますよ、宇和で魚買ってきますよという人大分おります。ここは拠点の一番近い水揚げするところの魚市場があるわけですけど、ほじゃついでに馬刺買いましょうか、ついでに野菜買いましょうか、ほしたら食事もしましょうかということになるわけです。魅力ある商品、食べ物、そういうのがあったら、逆にこっちから流入してくる。大型店舗ということは、今大型店舗も大変ですから、あの世界最大級の小売店のウォルマートも、課長が言いましたが、ネット通販なんかに押されて、アメリカの南部のほうの町、中西部のほうの町をどんどん閉めてますから、この間やってましたもの。あの世界最大のトヨタ自動車工業の2倍の売り上げですよ、トヨタが二十数兆円ですかね、その倍ですから、それが今危機に立たされようとしておりますという、消費構造が非常に変わりつつあります、おっしゃるとおり、量販店だってわかりません。ですから、個性的な商品なり何なりを一丸となって、大店立地法によって環境を害するようなんはいけませんよ、規制変わります、この後質問出ますが、時代は変わっておりますが、やっぱりそっちへ足を運びますが、それに負けない町を、今はもう下がってますけど、もう反転攻勢の時期ですから、知恵を出して新たな商品、商売を考えていくようにやりましょうよ。大きな店ばかりがもうかりまっせということではいけませんから、そこら辺また商工観光課長、あったら5点目願います。
○議長(上田浩志君)  商工観光課長。
○商工観光課長(河野久志君)  今議員さんおっしゃったとおり、そういったいろんな購入方法といいますか、いろいろございますので、それは市民の皆様方の選択肢によりますので、そこら辺はなかなかこちらのほうでも把握できないところでありますけども。
○議長(上田浩志君)  市長。
○市長(大城一郎君)  議員のおっしゃるとおりだと思っております。どこに行っても買えるものがあるのであれば市民も来ないし、まして市外からの集客も望めないというところがあります。
 ことしの4月28日から5月7日まで、ゴールデンウイーク期間中で県内の観光名所といった中で集客が一番多かったのが八幡浜みなっとであったことは議員の方々も皆さん御存じだと思いますが、これは単なる道の駅、みなとオアシス、普通にある道の駅よりもやっぱり八幡浜の海産物が買えるといったような特色があるからそういったことができるのかなというふうに思います。
 最近では、先ほどの質問の回答にもなるかもしれませんが、八幡浜の商工会議所の青年部、また商店街の青年部の皆さん方が一緒に知恵を出し合いながら黒い商店街というふうな新しい発想を持って自分とこの商品を売っていくというような行動も出てきておりますので、何やら八幡浜が進取の気風に富んだ新しい商品を開発していく、魅力あるものをつくっていく、創造していく、そういったことで多くの人、八幡浜の人に認めてもらって、八幡浜以外の人にもこの八幡浜に来て消費行動に移ってもらう、そういったことを考えながら市全体で行動を起こしていけたらなというふうに考えます。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  商工観光課長、急に想定外の質問をいたしまして、ごめんなさいね。そういうことも含めて、常日ごろ考えていただきたいと思っておるところであります。
 続きまして、中心市街地80ヘクタール内の人口推移とシェア及び人口密度等について質問させていただきたいわけであります。
 中心市街地、私80と申しておりますが、その根拠数値は平成13年、西暦何年ですか、すぐ答えられませんね、2001年です。21世紀の初頭のときに八幡浜市中心市街地活性化基本計画なるものをつくっておって、この中が80ヘクタールとなってました。それで、先般のヒアリングのときに女性の方が資料で105ヘクタールになってますがとおっしゃいました。大体エリアは同じでしたから、どうちゅうことないんです。言うたら100ヘクタール、1平方キロだと思っとったらいいですね。これ80と書いておりますが、大体そういうことに皆さん方の御認識をいただきたいと思うわけであります。
 それで、私これでもかこれでもかと中心市街地のことをこれから言いますが、とてもやないが私は、かわいいと言うたら語弊があって怒られますが、中心市街地をもう昔のように活性化ささないけませんので、ある程度内情もお聞かせ願いたいという意味での質問でございますので、御理解をいただきたいと思うわけであります。
 八幡浜市はすごいんですよ、322の行政区があります。保内町は37、89、27、旧町村単位でいきます。322ありまして、うち81が限界集落であります。限界集落の概念というのは、高知大学、大野 晃教授が平成になってすぐにそういう概念を唱えた、準限界集落だなんとかと言って、それからはやり言葉のように限界集落、限界集落だと言っております。
 限界集落とは、地方の、田舎の、また僻地のそういう集落で限界集落になっておりますが、しかし本市においてはこの中心市街地が限界集落なんです。新町商店街を例にとります。1丁目から5丁目まで行政区が1、2、3、4、5とあります。全部足しますと人口が175人であります。高齢化率54.3%、最も危惧しなければならないのはゼロから14歳の年少人口が6人の3.4%、新町商店街全体の、ということなんですよ。
 それで、新町商店街と人口が膨張しておる神越とは比べ物になりませんが、神越は世帯数で8倍から9倍です、もとの。この神越というのは、かつては沖という字がついておりました、神越沖と言ってました、私らこんまいときに。神越沖耕地組合一面に水田であります。春先には菜の花、レンゲでもうピンクに染まっておりました、黄色に。これは桃源郷のように美しかった。それが、今やこの七、八年前に田んぼが一枚もなくなった。この間まで、七、八年前まではまだ田んぼ一枚か二枚ありましたが、今はありません。そして、真ん中に名坂道路ができました。これがなかったらもっと膨張してますよね。その神越地区は、今人口1,206人でしたかね、今先ほど言いました新町もそうですし、神越もですが、ことし2月末現在の人口であります。
 そして、高齢化率が20.1%であります。1つの行政区で1,000人以上というのは余りないんです、ここは20.1%、愛宕山は低いですよ、若い人ばっかりですから。しかし、ここは20.1%で一番低い、八幡浜市の中で。そして、ゼロ歳から14歳の年少人口は176人、新町全体より多いんです。全体で1,206人に対しますシェアというのは15%。先ほど国は4月1日現在で年少人口を出しました、12.4%です、相当なショックを受けておりました、政府の役人さんも、神越は15%。しかし、やがては落ちてきます。日の浦団地がそうですから、どんどんどんどん子供がおりましたが、今はほとんどいないようです。やがてはそうなりますが、今はまだ膨張しておりますから、そういうことであります。
 そこで、中心市街地、1平方キロ、100ヘクタールにしましょう、の人口の推移はどうなったのか。全体に下がってますよ、今3万5,000人前後でしょ。それがやがては自然減、社会減、自然減が400人、そして社会減が200人、600人から700人、市長もこの間、私とこの公民館の関係で来て言っておりました、600人、700人毎年減って、10年したら6,000人、7,000人、ここがあと10年したら2万7,000人ぐらいになりますよということですから。全体に減っておりますから、そのシェアとか何かは変わらないかもわかりませんが、中心市街地がより空洞化になってることは人口によって証明できますが、その辺の推移をぜひとも伺いたいわけであります。
○議長(上田浩志君)  政策推進課長。
○政策推進課長(垣内千代紀君)  お答えいたします。
 中心市街地、80ヘクタールで調査しました。昭和61年から平成28年までの30年間のデータを見ますと、人口が7,258人から4,289人、市全体の人口に占める割合が13.6%から12.2%、人口密度が9,073人から5,361人と、いずれの項目も減少しています。人口減少率が40.9%と市内全体の人口減少率33.9%を上回っており、これらのデータからも中心市街地の人口減少は深刻であると考えています。
 以上です。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  人口密度は人口割る面積ですが、今4,000や3,000言いなはったがやけど、80に対してということやな、わかりました。そういうことのようであります。
 関連した質問で次に移ります。
 問題は、年少人口がいうがはもうこれ無理ですかな。聞きましょう。新町商店街の3丁目から5丁目、モビリティーをようにしてから人をどんどん迎え入れますよということですが、それにつれても、人も来たらやっぱり人口もふやさないけませんので、お答えはなかなか難しいようですので、新町商店街も年少人口が6人や7人やなしにまずは2桁になるように、人口を移住とかなんとかも考えながらやっていただきたいと思っております。
 続きまして、中心市街地の求心力低下からの脱却、これまた中心市街地ばっかりむち打つようで申しわけありませんが、実態を私は知りたいということで質問をさせていただきたいと思うわけであります。
 中心市街地は空洞化、空洞化と言うとります、今言いましたように人口も減っております。高齢化になっております。シャッター通りできます。ということは、店舗の面積が減りますよ、店舗の面積が減ったら何か、売り上げ減りますよ、税収も減りますよということですから。
 私が危惧しておるのは、中心市街地に明治、大正、昭和の初めの建物は、明治の建物は大分少なくなりました。10年前までは大分ありました、まだ。そして、耐震性とか災害に対してかなりネックと申しますか、これらをクリアしなければならない問題もようけあるだろうと思います。
 そういたしますと、空き家もあります。この前、大黒町はきれいに整理をされておりまして、感謝申し上げる次第でありますが、そういう建物も多々あるだろうと思います。そういたしますと費用が発生します、発生したら、この後、予算もあったかな、除却に対しては補助出しますよということでございますし、だがしかし全部賄い切れませんので、費用は個人に負担が発生いたします。そうすると、不動産に対しましては減免措置がありますよということでなかなか壊しにくいです。一方、個人の事情もありますよということであります。新規に事業をやりましょうという方につきましては、そういうネックがあってなかなか新たにそこへ行って創業、あるいは起業するのは困難なような状況にもなっております。一方、事業継承もなかなかままなりませんよということです。そういたしますと、商業、業務の新陳代謝が進みませんよ、そうするとどういうことになりますか、公示価格が下がりますよ、それにつれて70%の評価額に対する税金ということについても下がりますよということであります。
 この中心市街地のかつてはバブルの時代は公示価格はどんと上がった。この向こうのほうに大黒町と銀座が交差したとこら辺あたりが私の記憶では公示価格が一番高かったと思いますが、公示価格の変遷がわかればお聞かせ願いたいのと。この中心市街地、80ないしは100ヘクタールの個人住民税、そして固定資産税、特に土地、それと法人住民税の推移はどうなっておるかということです、税務課長さん、よろしくお願いいたします。
○議長(上田浩志君)  税務課長。
○税務課長(菊池敏秀君)  お答えいたします。
 過去の市税収入については、数十年前となると、市誌等の大まかな記述しか残っておりませんが、議員が言われたとおり、市の中心市街地が活況を呈していた1950年代、昭和30年の市の財政状況を見ますと、市税は約1億円で、当時の市歳入全体の約36%を賄っております。残念ながら、その中で中心市街地がどれほどの部分を占めていたかは不明ですが、当時の中心市街地が活況を呈していた状況からかなりの割合であったものと思われます。
 商店街を含む中心市街地の家屋については、現在5,140戸が固定資産税の課税台帳に登録されておりますが、そのうち昭和40年以前に建築されたものが2,123戸と半数近くを占めております。逆に平成19年から10年間に建築された家屋はわずか212戸となっていることから、老朽家屋の取り壊し、新陳代謝が進んでいない状況であることがわかります。
 中心市街地の税収の状況ですが、固定資産税においては税額の基準となる地価公示価格を見ますと、平成7年には新町・銀座商店街で1平方メートル当たり34万9,000円、江戸岡交差点付近が35万3,000円とほぼ同額であったものが、平成29年では商店街が6万2,200円、江戸岡交差点付近が9万円となっております。全市的に地価の下落傾向が続いている状況ですが、特に商店街における地価下落が著しいことから、中心市街地の土地の需要が低下していることがわかります。
 次に、個人住民税では、平成19年度と昨年度を比較したとき、市全体では14億9,933万8,000円が13億6,452万9,000円と約9%減額となっておりますが、中心市街地では2億4,715万9,000円が2億610万7,000円と約16.6%減額となっており、落ち込み幅が大きくなっております。
 なお、法人住民税においても、中心市街地の税額の減額幅が大きいことから、その影響は中心市街地のほうが大きいものと思われます。
 以上でございます。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  私から思うたらさほどではないわけですけれど、先ほども言いましたように、家屋というのは新しく建たなんだらなかなか税収は上がりません。明治、大正というのは、一戸建てだったら恐らく免税点ですよ、全部足すから免税点をクリアして税額かかりますよということですから。ですから、家屋についても、新陳代謝をどんどん取り壊して新たにやると税収も上がります、地価も上がりますということで、動かんわけですから。今不動産を、この間、メディアの関係のを見よりましたら、不動産の不はマイナスというか負けの負になっておりました。負動産、動かない、そして負の遺産となっておるということのようです。要するに、流動化しませんもの。流動化するような施策を打つ、これはあります、これは一番最後のほうに言います、あると思います、私は。難しいですよ。新たな、これまた後で言いますが、ということで、よく税務課長が言われるように思うたほどはなかったということですが、市全体に税収が落ち込んどるということは非常に危機意識を持たなければなりませんぞと。私は中心市街地はもっともっと疲弊して、税においてもかなり打撃を受けているのかと思いましたが、思うたよりかはそこまでは進行してなかったということであります。
 しかし、中心市街地も八幡浜市も税収をどんどん上げるようにしましょうよということです。ということは、勢いのある町をつくりましょうということでございますので、そこらをできたら御回答いただければと思いますが、税収を上げるまちづくりをしましょうということであります。
○議長(上田浩志君)  副市長。
○副市長(橋本顯治君)  また後の答弁でもいろいろ関係するかとは思いますけれども、税収を上げるためには、企業の方にもうけていただく必要があります。ほんな中で、商店街を含めて、八幡浜の特産品を利用するなり、もしくはよその特産品を八幡浜に持ってきて加工していくなり、いろんな形で起業をやっていただく、これがまずはベースになると思いますので、その辺を市としては積極的に支援をしていきたいと思います。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  次に行きます。
 次は、みなっとの年間来訪者100万人です。この中心市街地への誘客についてお伺いするわけでございますが、この振興ビジョンによってみなとオアシス八幡浜「みなっと」ができました。魚市場も新しくなった。そして、どーや市場、どーや食堂、アゴラマルシェ、交流館、これがリンケージ、連携によってお客さんがどんどん来ております。イベントもやります、そしてお魚も買います。言われましたようによそからもどんどん来ていらっしゃいます。平成25年、28年の4年間に100万人を下らないということですが、これは奇跡だと思います、最初の珍しいうちは来ますけど。ですから、このみなっとについては全国の港を抱えた自治体の議員さんが引きも切らずに訪問し、勉強し、あるいは嫉妬を焼きながらお帰りになったということも伺っておるところであります。
 この100万人のお客さんは、先ほど市長が言われましたが、黒を基調にした商品開発、まちづくりをやっておりますよということですが、中心市街地が誘客、やっておられますよ、交流館の皆さん方。私は思うんですが、市の職員の皆さん方もスポーツか何かイベントに相当出て一生懸命やっておられますが、交流館は指定管理です。あの指定管理はベターですね、大成功です。指定管理にせずに市の職員やったらもうちょっと、違う発想で仕事をされるかわかりませんが、やっぱり危機意識を持ってやっておられますので、相当私は感心しております、すごい、すばらしい。
 ということで、中心市街地への誘客もやっておられます、交流館の皆さん方。しかし、実態としては余り私は見えてこないような気がします。というのは、黒とか、八日市とかやっておられますが、中心市街地のそれ自体の魅力もアップしないとなかなか誘客は難しいですよということだろうと思います。
 今、誘客の状況、実態というのはどうなんでしょうか、その辺お伺いをいたしたいと思います。
○議長(上田浩志君)  副市長。
○副市長(橋本顯治君)  みなっとから中心市街地への誘客という御質問であります。
 昨年度実施された「えひめいやしの南予博2016」では、本市においても40件を超えるイベントやプログラムが実施され、数多くの来場者がありました。南予博関連の大規模なイベントが「八幡浜みなっと」で開催され、人気のある特定のお店には「みなっと」からの客の流れがあったものと思っていますが、多くの来場者が中心市街地へ回遊するまでには至ってなかったと思います。
 商店街の活性化を図るには、商店街にお客さんが行ってみたくなる魅力的な店舗やサービスがふえることが基本でありますので、まずは商店街に御努力いただきながら、市としても千代田町ちゃんぽん駐車場の整備、新町商店街舗装改良工事、これは車を入れるための舗装改良工事ですけれども、それから周辺道路の拡幅及び一方通行など通行規制の解除など、アクセスの利便性を高める取り組みを通じて、「みなっと」などからの誘客を後押ししたいと考えています。
 また、これら魅力ある店舗づくりやアクセス利便性向上の取り組みによって、今後は中心市街地という立地上の特性を生かした便利で豊かな空間づくり、言いかえれば地域外から人を呼び込むことと合わせて、定住地としても利便性の高いエリアにしていくことなどにより多角的な観点から人を集めていって、魅力的なエリア形成を図っていきたい、そういうふうに考えています。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  よろしくお願いをいたしておきます。次、関連いたしますので、またよろしくお願いいたしたいと思います。
 これもう最後の項目でありますが、持続的発展可能な町なかの構造転換、いわゆるモデルチェンジであります。
 これなかなか難しいですよ、構造転換、新町商店街は20世紀型ですから。2001年、平成13年に中心市街地活性化基本計画なるものができておりますが、これ今は失効です、10年以上過ぎてますから、ということですよね。それで、まちづくりを再度、新たな発想に基づきながらやりましょうよということの質問であります。
 中心市街地が凋落しているのは、もう20世紀の3分の2を過ぎたあたりからか顕著になっております。それ遅過ぎた感がありますが、平成10年から12年の間にかけてまちづくり三法ができました。もとになるのは、中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律ができまして、改正都市計画法、大店立地法の3つの法律が平成10年から12年にできましたと。しかし、一向に中心市街地は活性化しませんよということで、もとになる中心市街地の関係の法律を平成18年に法律名を変えて新たな措置制度を加えて改正中心市街地活性化法ができましたよということであります。それで、まちづくりは商店街だけの中心ではなくて、文化の施設もそうでありますし、社会福祉の関係の施設、医療関係の施設もつくりながら、都市機能をアップしながら、今副市長が言われましたように定住化を図りながらやりますよということだと思います。それで、魅力ある商店街といいますか、町なかをつくっていきましょうということでありますが、そういう成功した例があります。
 一方、商店街に特化した、いわゆる大型商業施設をつくりますよ、土地区画整理によって土地を提供した人はそれは権利を得ますから、その大型店舗の中に入りますよ、施設の中に入りますよということですが、これがなかなか成功しない。最初はどんどんどんどんお客は来ますが、このようにみなっとみたいに4年連続100万人超えるようなことはありませんから。潮が引くようにどんどんどんどんお客は減っていって、そのテナント料も入った人が払えなくなる、そうすると三セクの債務保証を持っておる自治体が補償しなければなりませんよ、首長さんはおやめにならなきゃいけませんという例がありますので。これは土地区画整理によって大型店舗というのは相当危険です。先ほど言いましたように10年後には、今3万5,000人が2万7,000人になりますということですから、つくれませんよ、これは。ですから、新たな発想でつくりましょうということなんです。
 それで、今言われましたようにちゃんぽんの駐車場つくりますよ、新町の5丁目から3丁目までは道路改良して、モビリティーを容易にしながら車を入れますということですよね。それと、ある都市計画道路を整備いたしますよ、駅前もしましたよ、菊池清治邸も文化ゾーンにあります。それと、市民会館の跡地も考えますよ、総合的に考えてまちづくりしますよということは結構であります。
 しかし、今言いましたように面の整備は非常に難しい。やっぱり今言いましたように、点を整備していって定住化を図るのが一番だろうと思いますが、ただし港の振興ビジョンがあって、それでスキームがあって、現在のみなっとあたりができたわけでありますが、私は再度お聞きします。これが平成13年につくったやつでございますが、これは国交省から許可をもろたかどうかわかりませんが、そういう補助事業をもらって中心市街地活性化基本計画なるものをもう一回つくって、ビジョンをつくって、スキームに沿ったまちづくりということもほとんど不可能です、土地区画整理事業なんかというのは、都市計画における。がしかし、ある程度こういう大きな中心になる計画も必要なのではないか。いわゆる最上位の第2次八幡浜市総合計画もそうですが、まち・ひと・しごと創生総合戦略もそうです、都市計画のマスタープランもそうですが、先ほどできた空き家対策もそうです。そういう計画もありますが、やっぱり基本になるこういう計画も必要になるのではないでしょうかということについてのお答えをいただきたいと思うわけであります。
○議長(上田浩志君)  産業建設部長。
○産業建設部長(菊池司郎君)  議員お尋ねの中心市街地活性化基本計画の策定の必要性ということでございますが、まちづくり三法の制定に伴い、旧八幡浜市では平成13年3月に「八幡浜市中心市街地活性化基本計画」を策定しておりますが、平成18年の同法の改正に対応しておらず、事実上失効している状態です。
 計画作成のメリットとして、国などのさまざまな支援制度を活用できる点が上げられますが、平成29年4月現在、改正法に基づき同計画を策定している自治体は全国で141市となっており、本市同様、平成18年改正前に策定していた606市町村と比較するとその数は著しく減少しています。その理由としては、中心市街地活性化基本計画に盛り込むべき事項として、「市街地の整備改善」、「都市福利施設の整備」、「居住環境の向上」、「商業の活性化」の4事項について全て新規事業を盛り込む必要があることが障害になっているとの指摘があります。
 とはいえ、人口の減少、少子・高齢化が進む中、本市においても中心市街地活性化基本計画の目的である「多様な都市機能がコンパクトに集積した子供や高齢者を含めた多くの人にとって暮らしやすいにぎわいあふれるまちづくり」を進めていくことは重要課題と捉えております。時間と財源の制約の中で、今は具体の事業を早期に実現すべき時期であると考えており、事業の発想、選択の中で全体を俯瞰し、都市としての一体性、魅力の発揮など、方向を見定めながら進めていきたいと思っております。
 その中で、大きな計画が必要とされる状況になれば、また計画策定についても検討したいと考えております。
 以上でございます。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  旧来の20世紀型商店街とかという中心市街地の考え方は今はもうなかなか厳しいですよ。発想をがらりと変えましょうということになるだろうと、このように思っております、高齢社会ですし、どんどんどんどん人口がふえるわけでもないということでございますので。
 今検討されておる市民会館跡地ですが、これはまだ具体的にはなってないわけだろうと思いますね。平成25年9月議会に、私は中心市街地に保健センターはどうですかと申し上げました。保健センターはリメイクしながらやっておりますよということで、そういう考えはありませんよということでございましたが、私の考えは、前回健康寿命を延ばしましょうよという質問をさせていただいたわけでございますが、あの市民会館跡地はまだ狭いと思いますが、横をちょっと広げますと、保健センターなり健康寿命の拠点をここへつくると、そして健康のまちづくり、四国一、日本一の健康長寿の町ですよということになったら、定住はふえます、絶対にふえますよ。発想を転換しましょう。そして、この後、あしたまた全協がございまして、30億円が52億円になりましたよ、22億円ふえましたよということでございますが、二十数億円、30億円あったらかなりの施設ができますから、これは仕方ないことですから、地盤ですから。ですから、有効な金を使って、八幡浜の知名度をぐんと上げましょうということになったら、年寄りばかりですから、私もそうですが、一番は健康ですから、健康の町八幡浜。おいしいですよ、食物も、元気ですよというたら皆寄ってきますけん。そういうまちづくりを、あの市民会館跡地を、学識経験者の皆さん方もいらっしゃいますので、そこらも俎上に上げて、たたき台に乗せて、御検討いただいて、私が平成25年に言いました保健センターを移しながら健康なまちづくりをしましょうということについても、やっぱり念頭に入れて利用をするというようなことをぜひともお考えをいただきたいと思うわけでございますが、そのあたりどうでございましょうか。
○議長(上田浩志君)  副市長。
○副市長(橋本顯治君)  今の御質問の中でポイントは、市民会館の跡地の利用をどうしようかみたいなところが中心市街地活性化でこれからかなめだろうと。これが最後の候補地とは思っておりませんので、いろんな施策を次々に打っていきたいと思います。
 少し話がそれますけれども、今王子の森公園で児童遊園をつくっております。これは新しい遊具を備えた芝生と砂地を含めた、子供たちが走り回って、おまけに遊ぶことができる。そういうのをまた北浜公園の跡地にも整備して、家族連れ、子供たちにも住みやすい町というのは、今おっしゃられたような一つの魅力ある都市づくりになるし、これをうまくやっていけばまた全国から視察の方が来られるような、そういう切り口も可能ではないかと思っています。なども含めて、市民会館の跡地もまたどうすればいいのかというのは、今の御提案も含めて、少しいろいろまた考えさせて、取り組んでいきたいと思います。
○議長(上田浩志君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  御期待を申し上げまして、終わらさせていただきます。ありがとうございました。

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